2023年11月22日 サントリーホール(東京)
ホールの許可を得て撮影(あちこちでスマホを向けている(笑))
前世紀の話です。「生か録音か」という論争がありました。ホールでの生演奏とオーディオ装置での再生との比較です。だいたい、比べようもない両者ですが、どちらが「優れているか」を真面目に議論している人たちがいました。
そんなもの、生演奏がよいに決まっているのですが、まあ、どちらが好きかという趣味の問題ですね。優劣を比べる対象ではありません。
まあ、録音する限りは、というか、電気的に増幅再生する限りは、生の音と同じにはなりません。どんな高級オーディオ装置であれ、CD(レコード)の、アンプの、そしてスピーカの、音を付加してくれます。まず、スピーカが問題ですね。
何十年も前のことです。ヨーロッパの街でレストランの扉を開けたとき、奥から流れる演奏が生かスピーカ(PAを使っている)かをわかることに気づきました。奥行きの深い、途中で折れ曲がったその奥にステージがあるようなお店でした。それから、いくつもの店の扉を開けましたが、やはりわかります。
スピーカは固有の「スピーカの音」をヴァイオリンにもフルートにも付加します。そのスピーカの音を覚えてしまえば、チェロでもソプラノでも付加されていることがわかります。
ある録音エンジニアからは、こんな話を聞きました。彼の会社にある十数種類のマイクは、「モニタヘッドホンで聞けば、どれだか判る」そうです。「マイクの音」を覚えているから、どのマイクかを聞き分けられるのでしょう。スピーカと同じくマイクも、ヴォーカルであれギターであれパーカッションであれ、固有のマイクの音を付加するからでしょう。
アンプも同じです。だいたい、接続ケーブルを変えるだけで音が変わるのですよ。でも、それよりもアンプの個体差のほうが大きい。どんな超高級オーディオ装置であっても、固有の音をつけ加えてくれます。「よい装置であれば、生と区別できない音がする」との話を耳にしたこともありますが、そんなことはあり得ない。高級機であろうと汎用機であろうと、「装置の音」をつけ加えます。自作のマイクで録音して自作のスピーカで再生すると生よりもよい音がする」との話を読んだこともありますが、装置の音が好きなら、それでいいじゃないですか。
けれども、私は、そうではありません。さすがに「録音系と媒体の音」は手が出せないのでガマン(できないCDは中古ショップ行き)ですが、「再生装置の音」はできる限り消し去りたい。
生演奏に「装置の音」はありません。
とはいえ、生でも悲惨な響きの建物(あえてホールとはよばない)で演奏されることはあります。去年、どうしても聞きたい指揮者とオーケストラの来日があって、東京公演は日程が合わず、ある街の建物へと足を運びました。どことは言いませんが、いわゆる多目的ホール。クラシックにはおよそ不向き。よい響きを感じられない。アマチュアコーラスで歌っている友人曰く「みんなで歌っているのに、たった一人で歌っているかのように不安になる」ようなステージ。それでもさすが超一流プロ。演奏は素晴らしかった。でも、あそこでは聞きたくない。彼らの本拠地(有名なホールです)で聞きたい。
あるいは、よいホールでも、冒頭の一小節で「帰ってCDを聞きたい」と思うこともあります。「旋律が流れない。音が切り刻まれている」とか、「ここでそんな歌い回しをしないでくれよ」とか、演奏の好みが合わないのですが、ときには「この弦の音かよ」と音色にガッカリすることもあります。ひどいときには「プロなのに、ここで外すなよ」とも。
それでも、生にはどんな演奏を聞かせてくれるかとの期待と高揚があります。ホールに行けば、装置では感じられない空気があります。それは、緊張であり躍動であり熱気であり集中であるのですが、聞き手へと伝わってきます。すべての瞬間に注がれた演奏者の気迫が、ホールでは響きとなって感じられます。
とはいえ、感動につながるのは3回に1回でしょうか。もう1回は、まあまあ。残りの1回は、残念。
でも、去年もいくつもの感動がありました。あのスコアからこんな響きが迫ってくるのだと教えてくれたシベリウス。繰り返し繰り返し頭の中でリフレインしたリヒャルト・シュトラウスの響き。極めつきは、旅先で、着いたその日にみつけたコンサート。『告別(グスタフ・マーラー「大地の歌」)』を切々と歌うソプラノに心を打たれました。
これだから、コンサート通いはやめられません。
アンドリス・ネルソンス(1978 - ):ラトビア出身の指揮者。緻密なスコアの読みの上に深い響きを構成してくれます。録音もよいのですが、それよりも実演が感動的です!この日も素晴らしかった。亡くなった日の朝まで書き続けられた未完の交響曲を、アントン・ブルックナーは耳にできなかった響きを、深く輝かしく奏でてくれました。きっと作曲者が思い描いていた以上に。